'80.2.3 風は時空を超えて
2005年 11月 13日
「Three&Two」ツアー東京最終コンサートは、
2月3、4、5日の3日間、新宿厚生年金会館で行われました。
初日3日のステージを見ることが出来ました。
「第3回ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト全国グランプリ大会」が
行われたのが、この新宿厚生年金会館でした。
’69年11月2日のことです。
この日に赤い鳥や、後のチューリップのリーダーとなる財津さんに
初めて出会っています。
彼等がプロとしてこの会場で単独コンサートを開くのは、
この’80年が初めてでした。
一体どんなことを考え乍らステージに立っていたのでしょう。
11年前のその日、赤い鳥に出会っていなければ、
オフコースがプロになることなどなかった筈。
11年をかけて、ゆっくりゆっくり大きくなって、戻って来たこの会場。
「さよなら」というメガヒットも生まれ、この時は本気で、
ゴールに辿り着いてしまった気分になっていました。
小田さんはどう思っていたのかは知る由もありませんが、
売れてしまったアーチストの多くがはまり込む末路を
彼等も辿るのではないか。そんな不安がありました。
しかしそれは杞憂に終わります。
この後、彼等は更に高みに登り詰め、
見たことの無い景色を見せてくれることになります。
それもこれも、全ては11年前のこの会場から始まったのだと思うと、
感慨深いものがあります。
それにしてもこの会場、勾配が急で、
席に辿り着くまで降りる階段がとっても怖かった......。
急な分、2階席でもステージが近く感じられた気がします。
最前列でしたので、身を乗り出して腰掛けると、
目の前の手摺りに掴まることが出来て、公演の間中、
ずっとそうやって見ていた記憶があります。
動物園の猿状態.....だったかも?
2月3、4、5日の3日間、新宿厚生年金会館で行われました。
初日3日のステージを見ることが出来ました。
「第3回ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト全国グランプリ大会」が
行われたのが、この新宿厚生年金会館でした。
’69年11月2日のことです。
この日に赤い鳥や、後のチューリップのリーダーとなる財津さんに
初めて出会っています。
彼等がプロとしてこの会場で単独コンサートを開くのは、
この’80年が初めてでした。
一体どんなことを考え乍らステージに立っていたのでしょう。
11年前のその日、赤い鳥に出会っていなければ、
オフコースがプロになることなどなかった筈。
11年をかけて、ゆっくりゆっくり大きくなって、戻って来たこの会場。
「さよなら」というメガヒットも生まれ、この時は本気で、
ゴールに辿り着いてしまった気分になっていました。
小田さんはどう思っていたのかは知る由もありませんが、
売れてしまったアーチストの多くがはまり込む末路を
彼等も辿るのではないか。そんな不安がありました。
しかしそれは杞憂に終わります。
この後、彼等は更に高みに登り詰め、
見たことの無い景色を見せてくれることになります。
それもこれも、全ては11年前のこの会場から始まったのだと思うと、
感慨深いものがあります。
それにしてもこの会場、勾配が急で、
席に辿り着くまで降りる階段がとっても怖かった......。
急な分、2階席でもステージが近く感じられた気がします。
最前列でしたので、身を乗り出して腰掛けると、
目の前の手摺りに掴まることが出来て、公演の間中、
ずっとそうやって見ていた記憶があります。
動物園の猿状態.....だったかも?
by kazemiti
| 2005-11-13 01:40
| コンサート
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